芸能を歩く
埼玉、群馬、栃木、千葉、茨城、東京、静岡、秋田、滋賀、三重、
⑴獅子の芸能
⑵関東地方の芸能
⑶“風流感”を養う
足を運んだ芸能の半数以上は獅子舞を含む芸能でした。
東日本一帯、
長く関東に住んでいながら、
とにかく地道に足を運ぶ以外に道はないので、
⑵関東地方の芸能
関東地方の芸能を意識しようと思ったのは、昨年、
都心を含む関東地方は他の地方に比べて、いわゆる“地方感”
たいへん大雑把ですが全体的にみると関東地方の芸能は、
⑶“風流(ふりゅう)感”を養う
“民衆の祈りと芸能”をテーマに日本の芸能を見ていると、
音楽の印象は素朴で暖かく、古風を感じさせるものも多く、
“風流”的感覚は庶民の嗜好や、
個々の芸能については置いておき、全体的には印象深かった事は、
私が様々な祭りや芸能を見てあるいているのは表現者としての感覚
もちろん、そのようなことではない事を祈るばかりですが、
坂東曲
『海山のあいだ ~石見益田氏の祈り~』作品解説
《中世武家社会の祈りと芸能》
中世という時代は今に残る多くの日本の芸能が芽吹き形成されていった時代です。この時代の芸能者である猿楽(能楽)の者たちにより伝えられ、神楽や田楽等様々な日本の芸能に影響与えた芸能に“翁芸能”があります。
翁芸能の形成を見てみますと、これは、もちろん中国の儺儀や朝鮮の仮面劇など大陸の儀礼・芸能の影響が大きいのですが、要因としては、そうした当時の芸能の流行りによる一因よりもまず第一に、戦の絶えない乱世の時代に、社会が一体何を求めたのかを考える事が重要です。
親族同士が、または昨日まで手を結んでいた家同士が、ひとたび戦となれば、互いの状況いかんにより、騙し合い、殺し合わなければならなかったのが中世という時代です。今回の作品のテーマの石見益田氏を見てみても、当時の石見地方で勢力を争った周布氏、三隅氏、福屋氏などは、家系を同じくする御神本氏の出身であり、まさに親族同士が争い、殺し合っていたのです。
翁を伝えた猿楽(能楽)者の芸能は武家社会に受容されひろまりました。あらゆる手を尽くして家の存続を目指した、武家社会の人々の祈りがこの芸能には表れており、まさしく「翁」は、この時代に生まれるべくして生まれた芸能と言えるでしょう。
《ファミリーツリーの象徴としての翁》
翁芸能、そのイメージの源泉は、翁(老人)の持つ長寿という命の永続性の象徴であり、一族の長老の祝言であり、ファミリーツリーを遡り祖霊を讃え、一族の未来の繁栄を祈ることです。
その家系を現在まで繋いできた事を讃え感謝し、併せて、未来の繁栄を祈るという、一族(社会)の魂の“過去、現在、未来”の祝福として、翁というひとつの象徴が表れるのです。
現在、能楽に伝わる翁の芸能は、簡潔に“翁は神事である。”とか、天下泰平、五穀豊穣の舞と説明されるか、或いは摩多羅神や宿神と関連づけられて難解に語られることも多い訳ですが、翁芸能は、一族の祖霊信仰が、長寿祈願、子孫繁栄、豊穣祈願の祈りを併せ持った、とてもシンプルな祈りの芸能のかたちなのです。
偉大な王としての翁(祖先神の翁、現世の長老翁が、未来の翁)が、繁栄の象徴として眼前に現れ、一族と社会の今世を祝福し、未来の泰平と豊穣を予祝するという寿ぎの芸能は、謀略や殺戮の絶えなかった中世社会に生きた人々の、久しく家系を守りたいという切なる祈りが色濃く反映され、受容されてゆきました。
因みに、田楽や神楽の翁では、猿楽(能楽)翁の様な荘厳性を持たず、滑稽な演劇的要素を持ち合わせるものも多くありますが、こちらの芸のあり方は、より民衆的であり、東アジア芸能の翁(老人)芸の一般的な姿でもあります。
リアルな老人の態を演じて観客を楽しませる娯楽性よりも、猿楽(能楽)者たちが武家社会のニーズに応えて儀式性と神性を翁芸に取り入れていった経緯は、日本独特のものであり、その理由としては、神仏習合文化によりつくられた中世神話や寺社縁起に見受けられるような、神の身体性の具現化としての翁の採用、また、武家社会の求めた血族の繁栄と長寿祈願の代表に、一族の長老の翁という姿が祈りの芸能に取り入れられていきました。
《中世から普遍へ》
この翁の芸能の祈りは、中世という時代を軽々と飛び越えて、始原の人間社会の祈りにまで遡ることが出来るものでしょう。血族を祀る習俗はあらゆる人間社会の普遍ですし、長寿を祈り、繁栄、豊穣を祈ることもまた、人間社会の常なる祈りのかたちであるからです。
更に、その有様を想像してみれば、例えば、日本の環境においては、祖霊とともに、常に、海や山、樹木や岩等の自然そのものが祀る対象となってきたことを忘れてはなりません。
お盆の時期に、海の向こう、山の向こうから帰ってくる祖霊が、山の神、海の神と同一視されてきたように、海、山の自然の神や農耕生業の神は、常に祖霊と同一視され、習合してきました。
時には人間に厳しい存在である海や山の自然環境と常に対峙しながら、そこから豊かな恵みを享受してきた私たちの祖先の姿を想像してみれば、日本の中世のみならず、いつの時代に遡るとも、この惑星で生きる人間社会の切なる祈りの姿が浮かび上がってきます。
とりまく自然に畏怖し、感謝を捧げる祈りとともに、血族の繁栄と長寿を願う人間社会の祈りとその芸能が、太古の昔から、いたるところで延々と繰り広げられてきたのです。
《今つくる、益田氏の芸能》
中世という厳しい時代を、絶妙のバランス感覚をもって切り抜け、近世の平和な時代にも確固たる地位を築き上げた益田一族は、家の団結と民を大切にする気高い精神を持った一族であった、と私は感じています。
今回公演する作品『海山のあいだ ~ 石見益田氏の祈り~』では、乱世の時代に様々な苦心をしながら家の存続を守った中世石見益田氏を讃えることを通して、長寿祈願、家族繁栄、五穀豊穣などの人間社会の祈りの最もベーシックな部分を見つめたいと思っています。
益田市南東部の比礼振山の佐比売山神社には鉱山の神が祀られ、その山頂には山の神、蔵王権現が祀られています。また、湾口の様子が良く見渡せる七尾城には海の神である住吉の神が祀られています。
南に広がる山間部の山の恵みを享受し、北に広がる日本海を渡り交易して繁栄した益田氏は、常に、山の神に、海の神に祈りを捧げてきました。
一族の団結を図り、家の存続を願い続けた益田氏の祈りの作品をつくるにあたり、そこに登場するのは、やはり翁の舞なのではないか、と私は考えます。
翁の芸能を伝えた大和の猿楽(能楽)師たちは藤原氏の春日大社に使えていました。猿楽の翁芸能と藤原氏の深い関係があるのです。
益田氏の祖先、御神本国兼は藤原出身であり、古文書を見れば、益田氏はときに藤原姓を名乗っていました。益田家の家紋「上がり藤に久」の藤の源は、藤原氏の家紋(下がり藤)の藤であり、今も春日大社に咲き続ける藤の花と深い関係があるのです。
益田氏は御神本、又は藤原を代々常に意識していました。藤原を名乗ると社会的な利点があるという事もありますが、今回の作品では、私は純粋にこれを益田氏の祖霊信仰の一面として捉えます。益田氏の祖霊信仰である御神本(臼口)大明神の信仰は藤原氏と繋がり、それは春日大社に仕えてきた猿楽者の翁芸能と繋がるのです。
今、ここに藤の花の精霊となった益田氏の翁が、益田家の家紋、上がり藤を舞います。その舞いの歌は、「藤々垂らり、垂らりら、垂らり上がりららり藤~」(あてた漢字はこの作品の為の独自解釈)という、あの翁の詞章に他なりません。
永遠に房を垂らしながら蔓が上へ上へと登る藤の様は、益田氏の未来への願いを表し、「久」の字が加わることで更に強固な祈りとなりました。そして、この「久」の字に込められた祈りは、益田家のもう一つの家紋「九枚笹」(九=久)に引き継がれることになります。
家紋に表された益田氏の未来への願い。藤の精霊の翁が祈り舞う姿こそ、気高い精神を求めた益田氏の祈りの翁舞であり、祖霊信仰としての、御神本~益田一族が信仰した御神本(臼口)大明神に捧げる祈りの舞である、と私は確信しています。
益田氏の祖霊の祈りは、益田から御神本、さらに藤原へと遡ります。そして、祖霊が山神と海神に出会うことにより、さらに藤原をも越えて、遠い過去へ、プリミティブへ、人間社会の祈りの普遍へと繋がっていきます。その遥かなる記憶のベクトルは、そのまま、過去のま逆である、現在から遥かなる未来への祈りへと繋がっていくのです。今日、益田の地から、いつまでも久々しく。
本日は『よみがえる戦国の宴』にお越し頂き誠にありがとうございます。
多くの皆様のご協力を頂いて、海山美しく歴史のある石見の地で、この公演が実現しますことに深く感謝申し上げます。
本日公演する舞台『海山のあいだ ~石見益田氏の祈り~ 』は、中世石見地方の盟主である益田氏の信仰文化を題材として、武士だけではなく、農作や海山で生業をした人々など、かつてこの地に生きた様々な人々の祈りにも想いを馳せてつくりました。
中世の時代は神仏習合の文化で、神々の信仰と仏教が習合して“権現”や“明神”などの様々な神が創出された時代です。様々な神仏の信仰と共に、大陸との交易が盛んであった益田の地は、国際色も豊かで、外から入ってきた文化を柔軟に取り入れながら、多様な価値観を持った文化をつくっていたことでしょう。
作品では、益田氏の二つの家紋「登り藤に久」と「九枚笹」に込められた “久(=九)”のコンセプト、益田氏の未来への願いを意識しました。語りの芸能、翁の祈り、海山の神の来訪、鉦叩きなどの情景を描きながら、中世を題材にしながらも現代につくられる祈りの作品としての意味を考えました。
今回のイベントや展覧会を観て興味を持たれた方は、是非、益田や石見地方の寺社や歴史遺跡を巡ってみて下さい。足を運びその地に立って見れば、時代を経て変化していくものの中に、変わらない大切な何かが見えてくるに違いありません。
【演目のながれ】
■『海山のあいだ ~石見益田氏の祈り~』
1、武者語り~庭入り
・舞台は、とある戦を終え帰路についたひとりの武者の語りから始まります。
・楽人たちが入場します。各々の衣装にも注目してください。巫女風や神官風の中に法衣を着た人も。この舞台では神仏習合の中世ならではの様々な信仰のミクスチャーが衣装に表されます。
2、四方拝~藤々の翁
・舞人が舞台中央へ。四方を拝します。中世にこの地に生きた益田氏を讃え、平安と繁栄を祈る祝詞が奏上されます。御神本氏からはじまる代々の益田氏の名前が読みあげられます。益田にある様々な史跡や寺社も挙げられます。
・舞人は翁面を掛け、益田家の家紋の上がり藤を舞います。(翁舞については、別紙の解説文をお読みください。)
3、山の神
山伏の引導により、山神が登場します。山神に奉幣と神饌が捧げられます。山の楽が奏でられます。
(休憩)
4、平家語り~武者の家語り
・四代目の益田兼高は源平の合戦で活躍した武将です。平家物語は平家を鎮魂するためにつくられた物語です。源氏方についた益田氏のあいだでも、きっとこの語りの芸能が行われていたことでしょう。最も有名な祇園精舎をお聞きください。
・中世の時代は、戦となれば勇ましく戦う武士も、日常は田畑を耕すなどの生業をして暮らしていました。家でリラックスしている時にはつい本音が出たりするものです。さて、どんな事を語ってくれるのでしょうか。
5、海の神
・大陸からの使者とともに海神が登場します。海神に奉幣と神饌が捧げられます。海の楽が奏でられます。
6、宴の楽
宴の楽が奏でられます。祈りの楽は宴をもって完遂されます。賑やかに、賑やかに。
■『ひとまる月夜』
この曲は、一昨年の満月の夜に益田市の萬福寺で公演した際につくった組曲『十五夜の宴』の中の最後の曲で、中世芸能の踊り念仏を題材にした曲です。ひとまるとは、“霊留まる”の意味です。
9人の出演者それぞれが笹の葉となり、舞台中央で円を描きます。益田家のもう一つの家紋「九枚笹」を表します。
美しい月夜の夜は、空を見上げ、同じ月を見上げて生きた人の魂に想いを馳せます。鉦の音が天まで届きますように。想いが天まで届きますように。
『海山のあいだ 〜石見益田氏の祈り〜 』テキスト
美しき海山のあひだの天青き石見の国に、
ちはやふる、神のひこさの昔より、久しかれとぞ祝い
およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたり
また万代の池の亀は、甲に三極を戴いたり
滝の水、冷々と落ちて、夜の月あざやかに浮んだり
渚の砂、索々として、朝の日の色を朗ず
天下、泰平国土安穏の、今日の御祈祷なり
藤々垂らり垂らりら
垂らり上がりららり藤
千里や垂らり垂らりら
垂らり上がりららり藤
所千代までおわしませ
われらも千秋さむらう
鶴と亀との齢にて
幸ひ心にまかせたり
藤々垂らり垂らりら
千里や垂らり垂らりら
垂らり上がりららり藤
鳴るは滝の水
鳴るは滝の水、日は照るとも
絶えず藤たり、ありう藤々々
絶えず藤たり、常に藤たり
"古事変奏作品" について
『古事変奏作品』について
古事変奏プロジェクトで公演する作品は、古くから伝わる様々な分野の“古事”に新しい命を吹き込むことにより、長い歴史を持つ日本の表現文化を受け継ぎながら、現代の表現としてそれを更新させることを目指しています。
このプロジェクトでは公演毎に様々な題材を扱いますが、作品ではメインのテーマに関連する様々な “要素としての古事” が表現の細部に渡ってバリエーションとして表出されることが意識されます。これら数々の “要素としての古事” のバリエーションの集合体が、その作品のメインテーマの “古事変奏” となり、舞台上にひとつの世界が構成されます。
作品中には数多くの日本の既知の表現要素が含まれることになりますが、それは単にそれぞれの表現をなぞったり、安易にアレンジを加えるといった行為を超えて、作品の大きな主題の中でそれらの要素が解体、統合され有機的に関連し、ひとつの意味ある日本の古事の表現バリエーションとして、今までに現れたことのないかたちで過去の文化を受け継ぎながら、現代に新しい命が吹きこまれることとなるのです。
制作プロセスとしては、まず作品の題材を決めてから、そのテーマはもとより、関連する数多くの “構成要素としての古事” についてを調査し、内容として何をどう扱うのか決めるのに膨大な時間を割きます。ひとつのテーマに対して、関連する事項の情報を可能な限り収集し、作品内で扱うものを絞り込んで、現地調査などを行ってからやっと作品づくりに取り掛かる事ができるという具合です。
音楽づくりの場合をみてみると、古事変奏の音楽は多くの既存の音素材(フレーズやリズム等)を使用するので、その作業は編曲に近いものかもしれませんが、もはや編曲とはいえないほどの膨大な数の構成要素を扱い、それらを解体統合する作業を伴っており、それはもはや作曲という作業に限りなく近づきながらも、テーマに向かう意識は、作曲という行為では味わうことのない個人の感情や感覚を越えたものであり、さらに構成する要素に対しては、日本文化の伝えたものに対しての畏敬にも似た尊敬の念を持ってそれらを扱いながら誰も聴いたことのない音楽を目指すという作業です。
パフォーマンスの扱う身体による象徴性、テキスト等についても、音楽づくりと同様に膨大な構成要素の候補の中から取捨選択をして、それをパフォーマーに伝えます。さらに衣装、美術についても考え制作し、演出を考えながらこれら全ての作業を同時に短期間でおこないます。
大雑把に古事変奏の制作方法を書いてみましたが、以上の様なプロセスで制作した作品を、私は個人的に『古事変奏作品』と呼んでいます。
まるでマトリョーシカのように大きな主題のなかにいくつもの “古事のバリエーション” が組み込まれ、どこまでも日本文化の表現バリエーションでありながら、現代に全く新しい表現を創造することを目指す古事変奏プロジェクトの作品づくり。
このプロセスは、この作品はいったい誰の作品かという問題や、変奏される構成要素との距離感や出典明記という問題を抱えていますが、日本文化で扱いたい題材と新しい芸能作品のアイデアは一生かかっても出来ない程にたくさん有りますので、いまは私の体力の続く限りひとつひとつ新しい『古事変奏作品』を公演する機会をつくっていこう、と考えています。
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